Mag-log in朝はまだ薄い霧に包まれていた。
黒鷲公爵邸の庭は華やかさとは無縁だ。整えられた植え込み、無駄のない石畳。訓練場からは鋼のぶつかる音が響いている。 朝食を終えた私は、窓辺に立ち、その光景を見下ろしていた。 (今日から、本当の意味でこの家に入る) 「奥様、お時間でございます」 エレノアの声は、昨日よりわずかに柔らいでいる。 「朝議でしたわね」 「はい。本日は主要幹部との初顔合わせを兼ねております」 私はゆっくりと振り返った。 「案内してちょうだい」 会議室の重厚な扉が開いた瞬間、空気の密度が変わった。 室内は広すぎず、天井はやや高い。壁は濃色の木材で統一され、装飾は最小限。細長い窓から落ちる光は柔らかく、室内は常に落ち着いた明るさに保たれている。 中央には長い黒檀の会議テーブル。椅子は左右対称に整えられ、上座が奥に置かれていた。 奥の壁には領地図が一枚あるだけ。 整然とした、静かな空間だった。 すでに数名が席についている。 まず、壮年の男が静かに立ち上がる。 「公爵家直属財務総監、ロベール・アルマンでございます。財政および契約管理を一任されております」 落ち着いた灰色の瞳。無駄のない衣服。 彼の視線は人ではなく、常に数字を追う。 収支、損益、将来予測。感情より均衡を優先する男。 黒鷲家の“帳簿”を握る者だった。 続いて、すらりとした体躯の女性が一歩前に出る。 「公爵家直属内政監査官、ミレイユ・ダロワ。領内施行規則および公爵家規律の監督を務めております」 声は静かで揺れがない。背筋は槍のように真っ直ぐ。 逸脱があれば、身分を問わず正す。 黒鷲家の“秩序”を守る番人だった。 最後に、日に焼けた男が腕を組んだまま口を開く。 「公爵家騎士団副長、ディオン・ラグラン。実戦指揮と訓練統括を担っている」 三十代半ば。鋭い目は常に周囲を測る。言葉は少ない。だが彼の判断一つで戦況は変わる。 黒鷲家の“刃”を預かる男だった。 上座に座る黒衣の男。 アレクシス・フォン・グラナート。 金色の瞳が、静かにこちらを捉える。 彼は指先で隣の席を示した。 「座れ」 私は一礼し、その席に着く。 (逃げ場はない、ということね) ロベールが帳簿を開く。 「奥様には、当家の財政概要をご確認いただきます」 分厚い帳面が置かれる。装飾はない。数字だけが並ぶ。 私は静かに頁をめくる。 全員が、私の反応を待っている。 ページをめくる音だけが響く。 鉄鉱石輸出量。塩の専売利益。騎士団維持費。港湾修繕費。 やがて顔を上げた。 「南部交易路の収益が落ちていますわね」 「3%減少しております」ロベールが答える。 「盗賊被害?」騎士団副長ディオンが即座に答える。 「昨年末より増加傾向にある」ディオンが即答する。 私は地図を見る。 「ですが、騎士団の増派はされていない。」 「費用対効果が見合わん」ロベールが言う。 私は指先で地図の一点を示す。 「ここ。南部の小貴族領。彼らと護衛契約を結べば、常駐騎士団より安価です」 室内が静まる。 ディオンが腕を組む° 「信用できるか?」 「信用ではなく、利害ですわ。彼らは収益の一部を得る。盗賊を放置すれば自領も損害を受ける」 ロベールが小さく頷く。 「合理的だ」 アレクシスが机を軽く叩く。 「続けろ」 その一言で、緊張が増す。 私は再び帳簿へ目を落とす。 「騎士団維持費は安定。しかし訓練用装備費が増加しています」 ディオンが短く答えた。 「国境情勢が不安定だ。更新は避けられん」 「単価が昨年より上がっています」ロベールが静かに頷いた。 「王家指定の軍需商です」ディオンが低く続ける。 「中央軍との共同演習が増えた。装備規格の統一を理由に、王家認可商以外の使用を事実上禁じられている」 私は視線を上げる。 「規格統一……」 ロベールが補足する。 「合同演習では、武器の型式、弾薬、馬具に至るまで統一が求められます。補給の混乱を避けるため、という名目です」 ディオンが鼻で笑う。 「名目、だがな。競争相手が排除されれば、単価は下がらん」 私は理解する。 つまり—— 規格という理屈で市場を囲い込み、価格を維持している。 「契約は公爵家が結ぶ。ただし王立軍の枠内で」ロベールの声は冷静だ。 「王家指定商を完全に外せば、“協調拒否”と見なされるでしょう」 私は静かに理解する。 (つまり——力はある。でも、鎖もある) だが——鎖を断つ以外にも道はある。 規格が問題なのではない。問題は、供給の独占だ。 私は顔を上げる。 「規格は維持したまま、領内工房で同等品を製造できれば?」 ロベールの視線が鋭くなる。 「王立基準を満たすなら違法ではない。ただし——」 ディオンが引き取る。 「五割を超えれば中央は警戒する」 私はゆっくりと言った。 「では、五割を超えぬ範囲で段階的に移行する。表向き依存だけ下げる」 ロベールの目が細められる。 「依存度を下げる……ということか」 「ええ。鎖を断つのではなく、緩めるのです」 その瞬間、金色の瞳が、静かに私を射抜く。 「その責任を負えるか」低い声。 私は視線を逸らさない。 「公爵夫人として?」 「そうだ」 「当然です」 やがて—— アレクシスがわずかに口角を上げた。 「面白い」 それは評価だ。 小さな、しかし確かな。 黒鷲家の中枢へ、一歩踏み入れた証。 議論が一段落したとき、ミレイユが一枚の紙を差し出した。 「奥様。これが当家の家訓です」 それには3点にあります。 一、力を誇示するな 二、借りは必ず返せ 三、裏切りは一度まで 私は静かに読む。 「借り、とは……恩だけですか?」 ミレイユの視線が静かに揺れる。 「いいえ」 ロベールが淡々と言う。 「恩も、敵意も」 ディオンが低く笑う。 「貸しも借りも、放置しない。それが黒鷲だ」 私は理解する。 「……分かりやすい家ですわね」 ミレイユが問う。 「恐れは?」 「ありません」 「なぜ」 私は顔を上げる。 「王宮の流儀は“空気”でした。見えない規則に従い、感情で裁かれる」 視線を紙へ落とす。 「こちらは明確。結果を出せばいい」 ディオンが小さく笑う。 「強気だな」 「強気ではありません。合理的です」 アレクシスが立ち上がる。 その動きだけで、全員が沈黙する。 「この家では、能力がすべてだ」 彼は私を見る。 「情で守ることはない」 私は微笑む。 「それで結構です」 ほんの一瞬、空気が柔らぐ、みんなの視線が変わる。 私はようやく理解する。 ここでは、泣き顔も悲劇も通用しない。 だから——楽だ。夜が明けきる前——。 満月の名残をわずかに残した薄青い空の下、黒鷲公爵邸の地下牢には、湿り気を帯びた冷たい空気が満ちていた。昨夜、月影の丘で捕らえられた四人の男たちは、鉄格子の牢へ押し込められている。 手首には縄。足には鎖。 顔には疲労と苛立ち、そして隠しきれぬ焦燥が浮かんでいた。石壁に掛けられた燭台の炎が揺れ、牢内に長い影を落とす。やがて、重い扉が軋んで開いた。先に入ってきたのはエルヴィンとオットー。 その後ろから、アレクシスが静かに姿を現す。地下牢の空気が、さらに冷えたように思えた。オットーが一歩前へ出る。 だが、男たちの前まで進んだのはアレクシスだった。黒衣の公爵は鉄格子の前で足を止め、四人を順に見渡す。「名を名乗れ」低く落ち着いた声だった。しかし、誰一人として口を開かない。沈黙が続く。アレクシスは眉一つ動かさず、淡々と言葉を継いだ。「ならば、質問を変える」その視線が、昨夜笛を持っていた男へ向けられる。「お前たちは、子供を攫いに来たのではない」男の眉がぴくりと跳ねた。「……何の話だ」「昨夜、お前は笛を吹いた。呼び寄せるための合図だ」アレクシスの声は静かだった。「だが、武装も縄もなかった。人数も少ない。子供を力ずくで連れ去るには不自然だ」男たちは黙ったまま、互いに視線を交わす。「つまり——」アレクシスの眼光が鋭くなる。「お前たちは、子供たちが集めた鉱石を受け取りに来た」沈黙が落ちた。否定の声は、誰からも上がらない。アレクシスはさらに一歩、鉄格子へ近づいた。「どうしてグラナート領の鉱石を盗む」低く放たれた問いに、男たちの肩がわずかに揺れる。先頭の男が舌打ちした。「……盗む? 大げさだな」「領主の許可なく持ち出した時点で盗みだ」揺るぎのない声音だった。「しかも孤児を使い、採掘させていた」若い男が顔をしかめる。「俺たちは掘ってねぇ。ただ受け取って——」言いかけて、はっと口をつぐむ。オットーが鼻で笑った。「また自分で喋ったな」「くそっ……!」オットーは意に介さず、さらに追い打ちをかける。「なぜグラナート領の鉱脈が標的になる? この地の鉱山は領主直轄だ。無断採掘が重罪と知らぬはずもあるまい」アレクシスの声が、石壁に冷たく響いた。「答えぬなら、四人まとめて主犯として裁く」男たちの顔色
陽が完全に落ち、黒鷲公爵邸の広大な敷地は、不気味なほど深い静寂に包まれていた。空には、約束されたように満月が皓々と輝き、その銀の光が地上のすべてを冷たく、そして鮮明に照らし出している。 昼間の穏やかさは消え、今宵の世界は、月だけのものだった。やがて、公爵邸の裏門が音もなく開かれる。そこから、一団が静かに滑り出した。先頭を進むのは、漆黒の毛並みを持つ大きな馬に跨ったアレクシス。 その隣には、同じく馬を駆るレティシアの姿があった。夫妻の後方には、オットー率いる治安隊、さらにエルヴィンとハースを含む精鋭たちが続く。 誰一人として無駄口を叩かず、蹄の音さえ抑えるように進んでいた。月明かりの下、一行は北西へと続く丘道を進む。「……この先だ。旧街道の分岐点が見えてくる」低く告げるアレクシスに、レティシアは小さく頷いた。冷えた夜気が頬を撫でる。 握った手綱の感触が、現実を強く意識させた。(本当に……来てしまったのね)不思議と後悔はなかった。 胸の奥にあるのは、緊張と——見届けるという意志だけだった。やがて視界が開け、一行は広い分岐点へとたどり着く。そこは、北西の山際へ続く旧街道と、領内へ戻る道とが交差する場所だった。 傍らには古びた石造りの道標が立ち、風雨に削られた文字が月光に浮かび上がっている。アレクシスはそこで手綱を引いた。「ここから先は馬を降りる。月影の丘は、この先の獣道の奥だ」全員が静かに馬を下り、手早く木陰へ繋いでいく。レティシアも足を地につけ、前方へ視線を向けた——その瞬間、息を呑んだ。分岐点の先、小高い丘の斜面全体が、淡く青白い光を帯びていた。まるで大地そのものが、内側から発光しているかのようだった。「……綺麗……」思わず漏れた声は、夜に溶けるほど小さい。月影の丘。 グラナート領北西部に位置するその場所は、満月の夜になると、地表に混じる含銀石が月光を反射し、丘全体が銀色に輝いて見える。夜の闇の中に浮かび上がる幻想的な景色から、古くより人々はこの丘を“月影の丘”と呼んできた。だが今夜、その美しさはどこか不気味でもあった。 静寂と光が、これから起こることを待っているように思えたからだ。「配置につけ」アレクシスの短い命令で、全員が散開する。オットー率いる治安隊は街道沿いの茂みに。 エルヴィンは丘裏へ兵を導き、退路を断
満月当日の朝——黒鷲公爵邸の執務室には、すでに重い空気が満ちていた。窓の外は穏やかな朝の光に包まれている。だが室内には、それとは対照的な緊張が漂っていた。机の上には、昨夜よりもさらに詳細な地図が広げられている。地形の起伏、木々の密度、小道の幅に至るまで、細かく書き込まれていた。アレクシスは腕を組み、その地図を見下ろしている。「報告を」低い声に、エルヴィンが一歩前に出た。「はっ。偵察により、新たな痕跡を確認しました」彼は地図の一角を指差す。「こちらの小道——わずかですが踏み固められた痕跡が確認できました」レティシアの視線が動く。「……やはり」エルヴィンは頷く。「敵が偵察、あるいは別経路として使用する可能性が高いと判断します」アレクシスは短く息を吐いた。「正面だけでは来ない、か」ハースが続ける。「現時点の配置では、小道側の警戒がやや薄いかと」沈黙が落ちる。やがて、アレクシスが口を開いた。「配置を変更する」その一言で、空気が引き締まる。「丘裏の十名から二名を外し、小道へ回せ。街道沿いはそのまま維持」「はっ」「加えて——」アレクシスの指が地図の中央をなぞる。「包囲の合図は二度の発光信号に統一する」その言葉に、レティシアはわずかに首を傾げる。「発光信号……?」ハースが小さな白い棒状の器具を取り出し、実際に見せる。覆いをずらすと、光が一瞬だけ外へ漏れ、すぐに消えた。「このように、必要なときだけ光を見せます」「一度で待機の合図、二度で包囲の合図です」レティシアは小さく息をついた。(なるほど……音を使わない合図)ほんの一瞬、別の光景が脳裏をよぎる。(……ライブのペンライトみたいなものね。ただし——)視線がわずかに鋭くなる。(これは“見せるため”じゃなく、“伝えるため”の光)彼女は静かに頷いた。「理解しました」ハースがすぐに書き留める。「撤退基準は?」エルヴィンが問う。「敵が三隊以上に分散していた場合は深追いするな。確保を優先し、追撃は禁止」合理的で、冷徹な判断だった。レティシアは静かに口を開く。「……子供たちの安全は、館内で完全に確保しておきます」アレクシスは一瞬だけ彼女を見る。「頼む」そして——「本作戦は、本日夜。満月が最も高く昇る刻に実行する」それは、決定の宣言だった。
王宮の晩餐会から一夜明けた王都は、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。 だが、その静けさの裏で、いくつもの思惑が音もなく動き出していた。 アウグストの机の上には、王国の財務報告と、各地の軍需支出の推移を示す帳簿が幾重にも広げられている。 整然と並ぶ数字の列——だが、その一つひとつが、確かに“動き”を示していた。 向かいの椅子に座るのは、妻のエリザベート。 朝の身支度を終えたばかりで、わずかに乱れた髪も、その優雅さを損なうことはない。 エリザベートは静かに帳簿へと視線を落とした。 「昨日の殿下との面会……いかがでしたか?」 「ああ」 アウグストは一枚の紙を指で押さえた。 「これだ」 そこには、ここ数ヶ月の軍需支出の内訳が記されている。 一見すれば、大きな異常はない。 「黒鷲家の鍛冶工房による軍需品の購入量が増えている。規格も供給網も王都と同一だ。 だが、現時点ではまだ五割に達していない——ゆえに殿下は問題視しなかった」 その意味を、エリザベートはすぐに理解する。 「では、このまま進めば——」 「線を越える」 アウグストは静かに言葉を重ねた。 「供給の五割を超えた時点で、中央は介入するだろう」 その基準は明確だった。 「それまでは?」 「黙認だ。むしろ利用するだろう。黒鷲に一部を担わせることで、鍛冶工房の管理や工匠の負担、品質維持の面でも中央の負荷を軽減できる」 エリザベートは静かに頷いた。 「……合理的ですわね。王太子殿下らしいご判断です」 アウグストはわずかに目を細める。 「だが同時に——」 その声が、わずかに低くなる。 「黒鷲側も“試されている”ことは理解しているはずだ」 晩餐会の光景が脳裏に蘇る。 「……あの夫人、ですか」 エリザベートは静かに紅茶を口に運んだ。 「私、あの方に興味がございますわ。 あの落ち着き、あの言葉の重み…… とても地方貴族の娘に見えるものではありません」 しばしの沈黙。 やがてエリザベートは、わずかに微笑む。 「黒鷲公爵家は、思っていた以上に“盤上の駒”ではなさそうですね」 「もとより駒ではない」 アウグストは淡々と返した。 「だが今は——」 その視線が鋭くなる。 「“盤そのものを揺るがす可能性”が出てきた」 部屋に、静かな緊張が満ちた。 —— 大神殿の聖堂には、高窓
その言葉は、冗談のようでいて——どこか探るようでもあった。 レティシアは一瞬だけ目を瞬かせる。 「……どういう意味でしょうか、公爵様?」 静かに問い返す声は、落ち着いている。 だが、その胸の奥では、わずかに鼓動が早まっていた。 (やっぱり……気づかれている?) アレクシスは肩をすくめ、小さく息を吐く。 「いや……」 視線を子供たちへと向けたまま、続けた。 「以前の君は——常に上から目線で、人を寄せつけなかった。だが、今は違う」 その言葉に、レティシアはわずかに息をのむ。 「人を遠ざけ、自分の殻に閉じこもっていたはずだ」 静かな指摘。 けれど責める色はない。 ただ——事実を述べているだけだった。 レティシアはほんの少しだけ視線を落とし、そして再び顔を上げる。 「……人は、変わるものです」 短く、しかしはっきりと。 アレクシスの視線が戻る。 「そうか」 その返事は淡々としていたが、どこか納得しているようにも響いた。 「ならば、その変化を信じるとしよう」 そして、ほんのわずかに微笑む。 「今の君は……嫌いではない」 その一言に、レティシアの目がわずかに見開かれる。 すぐに、ふっと柔らかく笑った。 「光栄ですわ、“冷酷の公爵様”」 そして、はっきりと告げる。 「ならば、その方針で進めよう。教師の件は、私が責任を持って探す」 「ありがとうございます、公爵様」 「それまでは——」 アレクシスはわずかに視線を和らげる。 「君に任せる」 レティシアは一瞬驚いたように目を瞬かせ、やがて柔らかく微笑んだ。 「はい、喜んで」 そのとき—— 「奥さま!」 別の子供が駆け寄ってきて 「おかわり、してもいいですか?」 そう尋ねてきたのは、ルーカスだった。 彼の手には、空になった木の器が握られている。 「もちろん。たくさん食べて、元気にならなきゃね」 レティシアが微笑むと、ルーカスはぱっと顔を輝かせて、厨房へと駆けていった。 (食べ物をねだることすら、最初は遠慮していたのに……) ほんの数日前まで、彼らは飢えと恐怖の中にいた。 それが今では、少しずつ、子供らしい表情を取り戻しつつある。 食後、子供たちは寝室へと移動し、リナと数人の使用人が寝かしつけを手伝っていた。 レティシアも一人ひとりに毛布をかけ、額
孤児院の準備 翌朝、館の一角では、静かに、しかし着実に変化の音が響いていた。 レティシアは袖をまくり、使用人たちと共に、かつて物置として使われていた西棟に立っていた。 「この部屋と隣の部屋を子供たちの寝室にしましょう。男女で分けて使うようにして。陽当たりもよく、風通しも悪くないわ」 「かしこまりました、奥様」 リナが頷き、手にしたほうきを動かし始める。 他の使用人たちも、古びた家具を運び出し、窓を開けて空気を入れ替えていく。 レティシアは、部屋の隅に積まれていた古いカーテンを手に取り、しばらく見つめた。 色褪せた布地に、かすかに花の刺繍が浮かんでいる。 その瞬間、胸の奥に、懐かしい感覚が走った。 (……この模様、どこかで……) ふと、佐藤美穂の時の記憶がよみがえる。 高校生の頃、祖母が自分のために縫ってくれたカーテン。 狭いアパートの窓辺にかかっていた、スミレの刺繍。 両親は離婚し、私の養育を放棄しました。 五歳の頃の私は、どうして両親が離婚したのか分からず、「自分が悪かったからじゃないか」と、ずっと自分を責めていました。 だから、捨てられたのだと、そう思っていたのです。 その後、児童養護施設に入り、一年ほどして祖父母に引き取られました。 祖父母は決して裕福ではありませんでしたが、本当に私を大切にしてくれました。 私の好きな料理を作ってくれて、誕生日も祝ってくれて、友達とけんかしたときには、人との向き合い方を教えてくれました。時には叱りながらも、いつもそばで見守り、支えてくれたのです。 祖父母と過ごした十年間は、私の人生でいちばん幸せな時間でした。 (……でも) 胸の奥が、わずかに痛んだ。 「奥様?」 リナの声に、レティシアははっとして顔を上げた。 「ごめんなさい。少し、昔のことを思い出していたの」 「……大丈夫ですか?」 「ええ、大丈夫よ」 レティシアは微笑み、カーテンの埃をそっと払い、洗濯係に手渡した。 「これ、使えるようなら洗っておいて。きっと、子供たちも喜ぶわ」 「はい、奥様!」 (あの頃の私が欲しかったものを、今度は私が与える番……) 彼女は微笑みながら、そっとカーテンの埃を払い、洗濯係に手渡した。 「これ、使えるようなら洗っておいて。きっと、子供たちも喜ぶわ」 「はい、奥様!」 その頃、子供







